「景吾、ごめん。あたしもう無理だ…」

受話器の向こうの景吾に、涙でぼやけていく視界に連なるようにぶれてしまった声で告げた。口に出して表すには突然すぎたかもしれない言葉。だってあたし達はつい1時間前まで一緒にいたのだ。景吾の部屋でいつものように繋がりあって、お風呂を借りた後に家に送って貰って。至っていつもと変わらない夜。だけど、それを破ったのは間違いなくあたしだ。静かな夜には息を飲む音が響く。あたしの部屋は勿論、きっと未だ行為の名残が残っている景吾の部屋にもそれは響いているのだろう。

「…何で、だ?お前はそんな素振り、一つも見せなかったじゃねぇかよ」

景吾はずるい。理由なんて分かってるくせに。いつだって景吾は皮肉で、意地が悪い。でも素振りがなかったのは当たり前だ。聞こえてしまわないようにこっそりと零した溜息は受話器の横で漂って消えた。前兆なんて絶対に見せたくなかった。少しでも感付かれてしまえばきっと、景吾はあたしに洗い浚い吐かせようとすると思ったから。だからずるいあたしは受話器のまま終止符を打ちたくて、電話という便利で悲しい利器を使う事を選んだ。いくら景吾だって電波を超えてくることなんて出来やしない。もし出来たとしても、それはある一定の範囲内に限られているだろう。勿論それは、景吾に最後を伝える手段として電波を選んだあたしも同じことだけど。でもあたしはそれでいい。あたしの本心なんか知らないままで、景吾にはちゃんと幸せになってほしい。

「ずっと我慢してたの。…もう限界、なんだよ」

「だから、何が限界なんだ?……しっかり、言え」

景吾の低い声が更に深さを増して聞こえた。声だけでも、濃いブルーの瞳であたしを見透かす景吾の姿が脳裏に浮かび上がって背中がぞくりとする。今景吾が目の前にいなくて心底よかったと思った。あのブルーに見られてると思えば、あたしが上手に嘘なんてつける訳がないから。そして景吾を断ち切る事も多分、出来ない。

「……全部だよ。隠れて会わなきゃいけない事も、いつもさんの事気にしなきゃいけない事も、全部」

最初は2番手でも何番手でもよかった。外でデートだとか、そういう恋人らしい事が何も出来なくてもどうでもよかった。あの人気者で綺麗で格好良くてまさにパーフェクトな景吾に抱かれるなら、偽りでも一時でも愛されるなら、きっとその瞬間が一秒だけでもあたしは世界一の幸せを手に入れられると信じてたから。勿論期待は裏切られる事はなくて。あたしの目論見通りあたしは一秒だけじゃなくてもっと長い時を景吾と過ごす事が出来た。お互いの家に何回も、それこそ飽きる位足を運んで。景吾と一緒にいる時はただ単純に幸せだった。あたしを撫でる手は優しくて、見つめるブルーはその色に反して暖かかくて。だけど、ごくたまに視界を掠めた景吾の時間を気にする仕草が、あたしといる時には絶対に電話に出ない事が、朝まで一緒に過ごさない事が、そんな些細な欠片があたしの身体に隙間を作ってほんの少しずつあたしを浸食していったのだ。いつからか、景吾ともっと一緒に居たいと思うようになって、身体を重ねて嬉しいのに空しく思う時があって、街行く手を繋いだカップルを見た時涙が零れそうな程に羨ましくなって。数えればきりがないくらい、心に黒い渦が出来てからそれは時間が経つ毎に大きさを増していく。あたしは、この渦の正体を知ってる。―これは嫉妬だ。言葉にすればたった数文字で表せてしまうのに、気が狂ってしまいそうな程にあたしの身を、焦がす。景吾に抱く想いが大きさを増すほど、この渦もその倍以上に大きくなっていく。恥ずかしくて、情けなくて、切なくて、苦しくて、悲しくて、哀しい。もう、あたしの身体にこの重力に耐えられる部分なんてどこにもない。だからあたしはこの想いに無理やり水を掛ける。その後に生まれる煙が、どんなにどす黒く焦げ臭いものでも。ねえ、景吾。あたしは只、








ただ僕だけを

して

ほしかっただけ



(それとも、望む事すら罪ですか?)













跡部くんの愛人のおはなし(words by 1204さま...Thank you!)