店員の「ありがとうございましたー。」と間延びした声を背中に被りながらコンビニを後にした。一歩外に出た瞬間に感じる風は冷たくて、マフラーを忘れてきた首はひどく寒い。はあ、と息を吐き出せば白が上へと飛んで行った。つられるように見上げた空は星が満開で、黒に冴えた光がいつもより映えて見える。なるほど、寒さで空気が澄んでるからいつもより余計に綺麗に見えるのか。なんて少しだけ納得しつつも、寝間着にコートを被っただけの格好じゃやっぱり何よりも、寒い。 「…寒い。ちょっとほんとに風邪引きそう…うー、早く帰ろう…」 小走りよりも少し遅い、早歩きで家へと向かった。家の近くに一つしかないコンビニは歩いていくには若干遠い。だけどこんな寒い夜に自転車を使って風を切る元気はなかった。両親はとっくに就寝してしまったし、とどのつまり、自分で歩いていくしか方法は無くて。だけどこんなに寒くなるならせめて暖かい飲み物でも買ってこればよかった、と後悔した。洩れる溜息は止まらないままに、近道である公園へと足を向けた。夜の公園は少しだけ怖いけど、今日は月も星も出ていて明るいし、ポケットにちゃんと携帯だって持っている。大丈夫だと怯まずに足を進めていれば、どこか遠くから音がした。ポーン、ポーン。軽快な音。この音は、耳覚えがある。よく学校で耳にする音。テニスボールの跳ねる音だ。そう気付いた瞬間、足は自然にストリートテニスコートへと向かっていた。近づけば近づくほど徐々に明るくなっていく視界は、真っ暗に慣れたばかりの目には少しだけ眩しかった。ややぼやける視界のままにテニスコートを眺めれば、真ん中にいたのは綺麗な綺麗な、男の子。え、ちょっと待って。あれはまさか。 「…跡部くん?何でこんなところに…?」 驚きのあまり声が自然と口から出てしまった。真っ暗な公園でライトに眩いばかりに照らされているのは、あたしが通う氷帝学園の生徒会長でありテニス部部長であり、同じクラスの跡部景吾くんだったから。傍から見れば独り言のようだった呟きでも、人一人いない公園内では響いたのかあたしの声は跡部くんに届いたらしく、怪訝な表情で跡部くんは振り返った。その息は少しだけ上っていた。 「……ッハァ、…あ?何だ、じゃねぇか。こんな所で何やってんだお前」 「それはこっちの台詞なんだけど。跡部くんこそ何やってんの?こんな時間に」 「アーン?見りゃ分かるだろ、テニスだよテニス」 少し荒っぽくラケットを構えながら言う跡部くんは、だけどどこをどう見ても一人なのであたしは返答の仕様がなかった。テニスは個人競技だけど、一人で練習とはいかがなものなのか。テニスというスポーツに詳しくないあたしは全くもって彼の意図が掴めなくて頭にクエスチョンマークを浮かべる。でも、ポンポンと片手でボールをコートに跳ねさせる跡部くんを見ていると何だか興味が沸いてきて、さっきまでの寒さなんかどこかに消えうせたみたいにあたしはゆっくりと彼のいるテニスコートの脇まで近づいた。浮かび出た興味が"何"に対するものかなんて気付きもせずに。 「何だよ、ジロジロ見やがって」 「…いや、テニスって一人で出来るのかなーって」 まじまじと跡部くんを眺めていると目が合って、文句を言われてしまった。その言葉につい素直に疑問を述べてしまう。残念な事に、もしかして跡部くん可哀想な子だったのかな?と思ってもそれはすでに言ってしまった後の事になるのだけど。でも跡部くんはそんなあたしの思考も見抜いていたのか、すっかり呆れたような顔で今まさに何かをしようと高く挙げていた腕を下ろして大きく溜息を吐いた。白いはずの息はライトに照らされてよく見えなかった。 「サーブでも何でも練習出来るだろ。馬鹿か、お前は」 確か跡部くんとはそんなに仲良くなる程お喋りをした記憶はないのだけど。吐き出された言葉はまるで親しい間柄のような、言われたのは嫌味なのにそんな錯覚すらしてしまうほどすんなりと自分の中に入ってきた事にあたし自身驚いた。そもそも知らなかった、跡部くんがこんな人だなんて。いつも周りに女の子やテニス部の部員が彼を囲んでいるからまともに話をした事なんて無かった。だから勝手に跡部くんという人を描いていたのかもしれない。勿論、あたしの想像なんて所詮大外れだけど。だってこんな口が悪い人だと思ってなかったもの。 「……あ、そ」 そっけなく返せば跡部くんはフン、と鼻を一度鳴らしてからまたサーブ練習とやらを始めた。ピン、と伸びた背筋から入る流れるような動作は大してスポーツを好かないあたしでも見入ってしまうくらい綺麗で。数秒前まであたしと話していた跡部くんとは別人のように、表情は行き成り真剣なものへと変わった。まるでコートの向い側に誰かがいて試合をしているのを見ている気分だ。あたしが全然跡部くん本人の事を知らなかったからという所為もあるけれど、初めて見たそんな跡部くんの様子にあたしの中にあったイメージはあっという間に鮮やかで鮮烈な色に塗り替えられた。そしてそれぐらい集中していた跡部くんにつられるみたいにあたしもそれに見惚れていた。 「おい。、何時までいるんだ?」 だから声を掛けられるまで気付かなかった、跡部くんが打ったボールがコートに山のような数になっているほど、時間が経っていた事に。慌てて時計を見てみればコンビニを出てから一時間は過ぎていた。そういえば、見とれていたから忘れていたけど体も随分冷えた気がする。今更になって、寒い。 「…わお、見惚れてて気づかなかった」 どうりで寒いと思った、と苦笑いをしながら跡部くんに告げればバーカと返された顔が少し赤くなっていた気がした。(跡部くんも冷えたのかな?) 「んじゃ、あたしはそろそろ帰るか。跡部くん頑張ってねー」 「おい、待て。…こんな時間に一人で帰るつもりか?」 ひらりとコンビニ袋を持っていない方の手で手を振れば、すぐに呼びとめられた。振りかえればしっかりと合った、訝しそうにする跡部くんの視線。だけどあたしは意味が分からなくて頭にまたもやクエスチョンマークを浮かべる。だって一人で来たのだから、一人で帰るのも当たり前だろう。別に小さい子供じゃあるまいし、家も近い。困惑するあたしの様子に何を考えているのか分かったらしい跡部くんは、はあと大きく盛大に溜息を零してから近くに置いてあったテニスバックにラケットをしまって、それをそのまま担いで、あっという間にあたしのところまでやってきた。 「送ってく。」 「…え?は、え、跡部くん?あたし家近いから大丈夫だよ?」 ぽつりと言葉を告げればすぐにすたすたと歩き出した跡部くんを、あたしは慌てて追いかける。そんな事を言われるなんて夢にも思ってなかった、というのは大嘘で確かに少しくらいは期待をしていたあたしだったけど、まさか本当に送ってくれるなんて思ってはいなくて。少女漫画でよく見るような展開は、だけど実際自分がその立場になると襲ってくるのは申し訳ないという気持ちだけだ。あたしの声なんか届いてないとでも言うように何も言わずに歩いていく跡部くんに、あたしはもう一度声をかけた。 「跡部くん、本当にいいって!もう遅いし跡部くんに悪いから…!」 「そんな遅い時間に女を一人で帰らせて何かあった方が俺の後味が悪いんだよ」 いいから黙って送られてろ。そう言われてしまえばなんて言い返したらいいか分からなくて。ごめん、とだけ先を行く跡部くんの背中に向かって告げれば一歩半ほど開いていた距離が一歩に縮まったような気がした。 (……ねえ、跡部くん。あのさ…)(アーン?お前まだ文句言うつもりか?) (そ、そうじゃなくって!…あの、えっと)(何だよ、言うならハッキリ言え) (……実はあたしの家反対側なんだよね)(!…っ馬鹿野郎!なんでそれを一番先に言わねーんだ!) (だ、だって跡部くんが先に行くから!)(チッ、煩ぇよ!いいから戻るぞ!) |
(浪漫な夜には君の傍に居たい)