「生徒会からの連絡だ。来週の水曜日は、−」

低いのによく通る声。すらりと伸びた手足。赤ちゃんみたいに綺麗な肌。そして何より、見た人に強く印象を残す我の強そうな深いブルーの瞳。跡部景吾くんは今日も変わらず格好いい。私みたいな、氷帝生と言っても至って普通の一般家庭に育った人間じゃ手の届かない場所に居る彼とは、同じ学年にも関わらず三年間一度も話した事がない。だけど噂だけはよく耳にした。世界に名を馳せるお金持ちとか、ファンクラブの数が尋常じゃないとか、バレンタインや誕生日にはそのファンからトラック何個分ものプレゼントが届くとか。普通に聞いたらありえないと思うのに、跡部くんならありえそうだと思わせる所が彼の凄い所だと思う。こんな風に何の関わりもない私ですら跡部くんに凄い印象を持っているのだから、直接彼と話なんかしたりしたら、一体どんな感じがするのだろう。耳にはまだしっかりと跡部くんの生徒会からのお知らせの声が流れているのに、目だけがピントがズレてしまったみたいに壇上の跡部くんに見入っていると、横からちょんちょんと肩を突かれて思わずはっと振り向いた。−だ。

ったら〜、また跡部くんに見とれてたの?」
「あ、あは…。だって、こんな時ぐらいしかまじまじと見られないじゃない」

まじまじ見たいならテニス部の練習見に行けばいいじゃない!隣で豪語するに苦笑いを返してから、私はすぐに跡部くんに視線を戻した。−テニス部の練習。何回か見に行こうとしてみた事はあるけど何時だってあの大量の女の子達に怖じ気づいてしまうのだ。自分からあの中に入っていくなんて到底出来っこない。だから私は、こうして公の場に立っている彼をその他大勢の中から眺めたり、たまに擦れ違えたりするだけで十分。たったそれだけの時間でも、彼に対する私の想像力は無限大に伸びていくのだから。

−そう。実はにも誰にも言ってないけれど、私はひそかに小説を書いている。本を読むのが小さい時から好きで、だけど小説家になりたいと思ったのはごく最近の事。氷帝に入って、跡部くんに出会って、頭の中にカラーボールが弾けたみたいに私の中でイメージが膨らんだ。書きたい事がすらすらと出てきてノートのページがあっという間に埋まってしまう。初めて跡部くんという人を認識したその日から今日まで、跡部くんを視界に入れた後の私はいつもこんな状態になっていた。だから今日もきっと、久しぶりにノートを書くペンが進むんだろう。その瞬間を思い浮かべると嬉しくなって、私は一人でこっそりと頬を緩めた。

*

ー、何やってるの?次の科学移動だよ?」
「あ、私職員室寄らなきゃいけないから先に行ってて!」
「りょうかーい」

移動教室に誘ってくれたを断って、科学の教科書に提出しなければいけない英語のノートを重ねて急ぎ足で教室を後にした。広い校舎の中でも職員室は一際離れた場所にあって、小さく溜息を吐いて早足で向かう。さっさと出して早く移動しないと、と急く気持ちで渡り廊下を渡っているとふと向こうから誰か歩いてくるのに気が付いた。ぴんと伸びた姿勢に凜とした歩き方。只一直線を歩く姿がこんなに絵になる人は他にいない。紛れも無い跡部くん、だ。調度廊下には私と跡部くん以外はいなくて何だか緊張してしまう。無意識にノート達を抱える手に力が篭った。一歩一歩ゆっくりと縮まる距離。―ああもう私ったらどうしてすれ違うだけでこんなに緊張してるの!訳が分からず浮かぶ羞恥心に普通にしなきゃ、と顔を上げれば、ぱちり、跡部くんと視線が重なった。吸い込まれそうなブルーの瞳に真っ直ぐに見つめられて、時間が止まったような気がして。一気に顔が熱を持って、思わず下を向いて目をそらしてしまった。どうしよう、今の私絶対顔赤い。恥ずかしさから更に上がったスピードで半ば走るように角を曲がれば、緊張の糸が解けてすとんと壁に寄り掛かった。―目が合ってしまった、他でもない跡部くんと。今まですれ違った時はたいていお互いに友達がいたから目が合うなんて事はなかったのに。今日はなんてラッキーなんだろう、きっと小説の続きがいつもの倍は書けるなあ。思わず緩む頬を押さえきれずにノートで顔を隠して笑っていると、人がいない廊下にチャイムの音が鳴り響いた。結局ノートも出せずに授業にも遅れてには不審そうな目で見られたけど、幸せだからオールオッケーだ。

*

放課後、私はに早々に別れを告げて図書室に向かった。理由は只一つ、昼間跡部くんとすれ違えたお陰で私の中の書きたいものがとめどなく溢れて、一秒でも早く書き上げてしまいたいからだ。家までなんて待っていられない。右を見て左を見て、―人気の少ない図書室だから私の事を気にする人なんていないだろうけれど、もう一度だけ右を見て私はいよいよノートのページを開いてペンをとった。ペンはどんどん進んでいく。途中、目が合った時に間近で見た跡部くんの綺麗な顔を思い出して顔が赤くなるのを感じながら、ノートはみるみる内に文字で埋めつくされていった。気付けば時計は既に5時を過ぎていた。

「結構書いたし、そろそろ帰ろうかな」

いつの間にか私一人しかいなくなっていた図書室で独り言を呟いてから、ペンケースとカモフラージュに出しておいた教科書を閉まった。ノートを閉じた瞬間から続きはどうしよう、と頭が書きかけの小説の事で一杯になった私はそのまま図書室を後にした。自分の足で歩いているのに思考が別世界に飛んでいるから、足元がどうしても覚束なくなる。昇降口の段差で転びそうになった時、私の中にこれだ、というイメージがピーンと閃いた。どうしてもこのアイディアを忘れたくなかった私はノートにちょっとだけ書いておこうと、鞄を開けてノートをまさぐる。あれ、ない。いやいやまさかそんな。鞄を下に置いて本格的に中を探す。ない。きっと図書室に忘れてきたんだ。やばい誰かに見られてたらどうしよう。私は泣きそうになりながら猛ダッシュで図書室へと向かった。5時を過ぎた校内にはあまり人が残っていない。この調子で図書室にも人がいませんように、と祈る思いで図書室の前まで来れば、無惨にも図書室には明かりが点いていた。恐る恐る、音をたてないようにほんのちょっとだけ隙間を開けて中を覗いて見ると、ついさっきまで私が座っていた席に誰か座っているらしい。ズボンだから男の子だ。こちらに背中が向いているけど、何だかあの背中と髪型には見覚えが、ある。
覗き込んだまま色々と考えていると、ふと、視界の中の男の子が立ち上がったことで私の身体は固まった。その男の子が私が探していた大切なノートを手に持っていた所為も勿論あるけど、何よりもまず、その男の子が跡部くんだったからだ!
かちん、とまさに漫画のごとく覗き込んだまま動けずにいた私と入り口に向かってきた跡部くんの視線がぱちりと合う。一瞬、目をぱちくりさせてから跡部くんはにやりと微笑んだ。わ、かっこいい!じゃなくて、ど、どうしよう!すっかりパニックになった私は、変わらず口元を緩めたままどんどん進んでくる跡部くんをただ見つめていることしか出来ない。顔に熱が集まるのが分かる。
―ガラリ。覗くために少ししか開いていなかった戸を開けて、跡部くんはとうとう私の目の前までやってきた。数センチしかない距離に頭がパンクしていまいそうだ。恥ずかしくて顔を上げることが出来ないまま震える指でノートを指差すと、頭の上から小さな笑い声が聞こえた。

「あ、あの、その、ノート…っ!」
「くくっ…いいんじゃねぇの?また見せろよ、続き」

ぽん、と軽くノートで私の頭を叩いた跡部くんはそのまま私にノートを持たせて隣を通り過ぎて行った。顔を上げて振り返れば昼間見たのと全く同じ後姿が、あの時よりもゆっくりした足取りで歩いていた。…え、てゆうか、あの。もしかして、まさか、 見られ、た?



ハレルヤ!




ははは、恥ずかしくて死にそう…!
ん?跡部、なんでそないご機嫌なん?