捨て身の思いで声を掛けたのはピアノの世界的なアーティストの演奏会が終わった数分後だった。彼を一目見た瞬間走った衝撃は、衝撃なんて言葉に例えられる程柔らかいものじゃなくて。言うならばそう、隕石が地球に当たって粉砕した。あたしの世界ではそれぐらい大きな事だった。今彼に声を掛けなければあたしは一生後悔する。あたしの心臓は何故かそれを確信していて、そして一歩一歩と確実にあたしを彼の所へと近づけた。人に酔ってたのか、ベンチに座っていた彼が怪訝そうにあたしを見上げたのはあたしと彼との距離が後数十センチになった時のことだ。「あたしと、付き合って下さい。」綺麗なミッドナイトブルーの瞳と視線が合わさった瞬間、あたしの口は自然と言葉を紡いでいた。あたし何言ってるんだろう、って後からになって凄く恥ずかしく思えたけどこの時のあたしは全然本当に全く、彼の事しか見えてなかった。周りの目も今の状況も何もかも盲目になっていて、今まさに目の前にいる彼の瞳しか焦点になかったのだ。そんな、一歩間違えれば気が狂った人みたいなあたしに彼は、景吾は微笑んでくれた。いいぜ、低いけどよく響く声があたしの耳にやけにゆっくりと染みわたって、脳を犯してフリーズさせる。思わず固まったあたしの顔を見ては、子供みたいに無邪気な笑顔で笑った景吾の顔はきっと一生忘れないと思った。
「何考えてんだよ、」 「あたしと景吾が出会った時の事」 キスの合間にそう答えれば、零れる笑み。だってそうでしょ?あたし達は年も違えば学校も違って住んでた世界も違って、価値観も違うし好きなものも違うし性別だって違う。出逢った場所だって景吾は自分で選んであのピアノの演奏会に行ったみたいだけどあたしは見栄張りの親に連れてこられて嫌々聞いてただけだもの。ねえ、あたしと景吾に共通する事なんてなんにもないんだよ?あたしがそう問いかければ景吾はふっとその口端を上げて笑った。あたしの目の前にあるなんて信じられないくらい、綺麗な綺麗な彫刻みたいな笑顔。本当はどこかの美術館に大切に保管してあるものが、あたしの幻想の中に潜り込んでるんじゃないかって、景吾に触れる事でしかあたしはそんな馬鹿みたいな不安すら一人では拭えない。存在を確かめたくてそっと頬に触れればちゃんと触れてやっぱり少しだけ安心した。 「バーカ。共通点ならあるだろーがよ」 「嘘だ。あたしいっぱい探したもん」 なかったよ、そんなの。吐き捨てる様に呟いたあたしの声は本当に可愛くない。拗ねてる事が丸出しの子供っぽい感情。ほら、大人びてる景吾とは正反対だ。分かってるのに、もう軌道修正出来ない段階に入ってしまってる自分がひどく憎らしい。別に共通点何かあったって無くたってあたし達の関係は変わらない。だけど、悔しいのだ。あたしの好きなものを好きになってくれない景吾が、景吾の好きなものを好きにならないあたしが。煮え切らない思いは答えを見つけ出す事無く、一本の腕によって思考は断ち切られる。ぽんぽん、と幼子をあやすみたいな手つきでいつも景吾はあたしを撫でる。まるで、あたしをカオスの世界から助け出すみたいに。 「お前が知らないだけで俺は知ってる」 「じゃあ教えてよ、景吾が知っててあたしが知らないこと」 ああいいぜ、そう聞こえた時にはすでに思考なんか及ばなかった。景吾の薄い唇があたしを深い深い世界の裏側に連れていくから。舌を絡ませれば混ざり合うお互いの呼吸。―これが景吾の答え、なの?見上げた視線で問いかければ、景吾はあたしの耳元に口寄せて囁いた。 「俺がお前を好きで、お前も俺が好き。…これは同じじゃねぇのか?」 ああ、かみさま。あたしは世界一の大馬鹿者でした。あたしが一番に思っていたからこそ一番に気付けなかったことに、景吾はとっくに気づいてたんだ。まるで花火が弾けたみたいに明るくなったあたしの脳内は、とうとう景吾で埋め尽くされてしまった。勿論、最初からそうだったことにあたしが気づいていなかっただけなんだけれど。でもどうして景吾は気付けたんだろうね?あたし自身でも分からなかったあたしの事を、どうして景吾は知ってるの? 「俺がお前を愛してるからだよ」 |
イデオロギーは狂気に染まる
(俺の世界、御前が在れば善い)