夏の暑い日だった。日差しが暑くて暑くて、日焼け止めを入念に塗ってたのに意味なんてなかった。流れる汗が全部を落として。だけど、あたしはそれも気にならないくらい目の前の試合に見入ってた。全国大会前の練習から、雅治は何時になく気合いが入っていて。面倒くさがりな彼が試合を楽しみにしてた理由が、今試合を見ていてひしひしと伝わってくる。4ゲームを先に取られても変わらないポーカーフェイスの裏に隠した企みも、青春学園の不二くんとやらのカウンターを返す瞬間も。だけど4ゲーム以降の試合から雅治の雰囲気が何となくだけど変わったのが分かった。隣に座る立海男子テニス部の1年生が「おい、あれ青学の手塚さんじゃないか…?」「すげえ、まるで本物だ」と囁く声が耳に入る。―正直何を言ってるのかさっぱり分からなかった。だって雅治はそこに居て、そこに居るのは雅治で、青学の手塚くんとやらじゃない。あの寂しがり屋なくせに天邪鬼な詐欺師が、リアルな仮面を被ってるだけだ。どうして誰も気づかないんだろう。今、青学の不二くんと闘っているのは間違いなく雅治なのに。
「あーあー、負けた負けたー。完敗ぜよ」 コートから雅治の声が僅かに聞こえる。雅治が、負けた。強い相手だと雅治から聞いていたから、勝敗なんて予想もしてなかった。だけど、雅治が、彼氏が負けたという感覚はなぜだかあたしまで悲しみにシンクロさせてしまう。雅治がくるりと不二くんに背中を向けた瞬間に見えた表情に、ぎゅうっと心臓が掴まれるような鈍くて痛い衝撃を感じた。あたしは思わず席をたって、額に張り付く汗もそのままに走り出した。只、雅治に会いたかった。 「…見っけ」 ぽつり、とその背中を見つけた瞬間に上がった息と一緒に零れた言葉。雅治は水道でばしゃばしゃと顔を洗っていた。敗北という屈辱と惨めな自分を水で洗い流すつもりなのか。どうやったって消えない事は分かってるくせに。 「雅治」 「…か。…格好悪い所見せてしもうたのう」 雅治に声を掛ければ振りかえる事はなく背中から返事だけが返ってきた。顔を上げたその姿は滴る水を気にもせずに、肩に掛かっているタオルで拭おうとする様子もない。雅治の言葉になんて返したらいいか分からなかったあたしは、雅治の背中をじっと見つめた。細い身体に矛盾して広い肩幅、未だ汗が伝う首筋。あたしの方を見ようとしない瞳は、どんな表情をしているのか。そんな事考えなくたってすぐに分かる。あたしは堪らなくなって雅治の背中へと飛び付いた。しっかりと腕を前に回して、ぎゅうっと未だ火照って熱い身体を抱きしめた。雅治が何を考えているか、その背中から痛いくらいに伝わってきたから。 「」 「馬鹿雅治。あたしにまで嘘吐かないで」 雅治のことなんて全部お見通しなんだから。雅治の背中にぴったりと顔をくっ付けたまま小さな声で呟いた。出しっぱなしの水道と、既に始まった次の試合への歓声が辺りに響く。だけどあたし達の周りには、静かで穏やかな空気が流れてるような気がした。きっと受け入れてるのはお互いの鼓動の音だけなんだと思った。 「…勝てると思ったんじゃ。見切っていた、筈だった」 ぽつりと零れる声が弱弱しくて。ぎゅ、と抱きしめる腕にほんの少しだけ力を込めた。ゆっくりと剥がれ落ちていくカラフルな仮面の下のナイーブで繊細な雅治が、あたしの腕をすり抜けて崩れ去ってしまいそうな気がしたから。脳裏を走馬灯のように流れていくのは、試合中のふざけているように見えて真剣そのものだった雅治と、試合前珍しく今回は楽しみだと言っていた雅治。実際、相手の不二くんは凄い人だった。だけど雅治だって凄かったのだ。だからこそあたしは雅治の勝利を最後の一秒まで疑いもしなかった。あたしだって、どうしてという疑問は消えない。消えないよ、雅治。 「悔しいよ、雅治…っ…」 「…ああ、…俺もだ」 雅治の身体の前へと回された手に一滴、落ちる水滴。まるで自分の頬に涙が流れるのを拭うように、雅治はあたしの手にそっと手を重ねた。重ねられた手は熱くて、だけど、泣きたくなるぐらい冷たかった。 |
半熟少年少女
(身を寄せ合う事しか、知らない)
ほんとについ先日あにぷりのOVAを拝見いたしました。かっこよすぎるよ雅治泣かせないでくれえええ。