在る日を境に雅治はだんだん透けていった。 元々透き通るくらいに白い肌をした人だったけどまさか本当に透けるなんて思ってもいなくて。 最初は何の病気かと思った。だって人が透き通るなんて話聞いた事が無かったから。 あるとしたら幽霊だとかお化けだとか、そんな非科学的な話の上だけで。 だけど、当の雅治は不思議と平然としていた。最初はあたしの話を馬鹿にしていたくらいだった。 雅治の目にはきちんと自分の身体が映って見えるらしい。勿論異常も何もない。至って健康体だ。 それはあたしの友達や周りの人物全てに聞いても同じだった。 皆にはしっかりと雅治の姿が映っているのに、なぜかあたしだけが透き通って見える。 透け始めて一週間後には、とうとう雅治越しに向こうの景色が見られるようになった。 身体はしっかりと触れるし、声も聞ける。 なのに身体だけは徐々に徐々に、まるで何かを追い詰めるかのようにゆっくりと透けていく。 あたしの目が可笑しくなったのかと思ってお医者さんにも行った。 だけど白髪頭の眼科医は、あたしの話を聞いて豪快に笑い飛ばすだけだった。 もしもあたしが他人にそんな話をされたら、あたしだってきっとそうするだろう。 だけどそれは"If"にすぎない仮定の話で。実際あたしの眼には段々、雅治だけが透き通っていく。 笑い飛ばせたらどんなに楽か。世界で一番大切な人が見えないのだ。こんなに悲しい事なんか他に無い。 このまま雅治が完全に見えなくなってしまったらと思うと、気が狂ってしまいそうなくらい寂しくて怖くて。 「ねえ…雅治、お願い…消えちゃわないでよっ…!」 「。俺は此処におるよ?消えたりしてないし、消える筈が無いんじゃ」 もっとしっかり見て、そう告げた雅治の言葉が氷柱が落ちる様にあたしに突き刺さった気がした。 あたしは冗談でもこんな事、こんな悪夢のような事を言わないのに。 雅治、貴方すらあたしの言葉を信じてはくれないの? しょうがないと思ってわりきれる気持ちなんかもう残ってはいなくて、あたしは静かに涙を流した。 透き通っている雅治の胸にしっかりと身を預けて、目を閉じる。 耳を済ませれば心臓の鼓動が聞こえた。 とくんとくん、と生命の存在を知らしめる単調な音だけが今のあたしを唯一安心させてくれていた。 そして一週間後には、雅治はついにあたしの視界からいなくなってしまった。 声は聞こえるのに。此処にちゃんと居ると触れて確かめる事も出来るのに。姿だけが見えない。 鋭くて切れ長の瞳も、唇の右下にあるセクシーな黒子も、細い胸板も何もかもあたしの目には映らない。 「…どこにいるの、まさ…はる?」 「何言うとるんじゃ、。俺は目の前に居るじゃろ?」 聴覚を研ぎ澄まして声が聞こえる方向を察知しなければ、雅治に触れる事も出来ない。 勘を頼りにして不安定に伸びた両手はゆらゆらと宙を彷徨った。 すれば斜め上から聞こえた、くすりと小さく洩れる笑い声に顔を上げると同時に腕を引っ張られた。 鼻孔をくすぐる香水の香り。引き寄せられてしっかりと抱きとめられた筈の身体は泣きたくなるくらい暖かかった。 だってそうだ。すりよせる頬はこんなにも暖かいのに、遮られるべき視界は何も映しはしないのだから。 幾ら息遣いは感じられても、視界に無いと只それだけでこんなにも不安になるなんて思ってもみなかった。 勿論雅治の姿が見えないからって雅治を好きでいられない訳じゃない。寧ろ、寧ろ好きだからこそ辛くて。 2人でいても、少しでも離れてしまえば1人で居るような気がして堪らなく寂しくなって。 ああ、なんてあたしは弱いんだろう。もう鏡すら愛しい雅治の姿を映してはくれないのに。 それでもあたしは、寄りかかるこの温もりを手放す事なんて、出来ない。 今この光景も雅治には、他の人には、あたし達はお互いを抱きしめあっているように見えるんだろうか。 何て羨ましいんだろう。あたしにはもう、世界で一番愛しい人を見る事が出来ないのだ。 「ちゃんとこっち見て…好いとうよ、」 視線を合わせて頬笑み会う事も、笑顔を分かち合う事も、その瞳が何を思っているかも。 そっと頬に手を寄せられた感触がした。そしてそのまま唇に何か触れた気がしたので、あたしはそっと目を閉じた。 何も出来ない。あたしには、もう一度目を開く時には何時も通りの雅治がいて。透けていくなんてあたしの気の所為で。 変な夢を見たのって冗談を言い合ってまた笑いあえますようにって神様に祈る事しか、出来ない。 |
君以外の世界が見えない僕と