に初めて、俺が透け始めたと言われてからもう幾時がたっただろうか。
最初は冗談か何かだろうかと思ってた。
俺が見えているかと周囲に問いかけてばかりのに、そこまで俺を騙したいのかと笑った。
病院にまで行った時は、さすがに精神的に病んでいるのかと思った。
そして今、俺が見えないと涙を流すに何て言葉をかけたらいいか分からなかった。
は俺の胸に頬をこれでもかというくらい強くすりよせて、背中に回した腕で俺を思いきり抱きしめている。
こうすることで、俺が存在していることを確かめているのか。俺は間違う事無く此処に居るのに。
目の前のがこんな様子でも、心のどこかでは人間が透けるなどありえないと思う自分があって。
だけどもし何かの奇跡がに起きていて、本当にの目には俺が映っていないなら。
悲しいことだ、けれどそれよりも僅かに嬉しいという気持ちの方が大きかった。
俺が見えなくなった事により、は持てる全ての感覚で俺を感じてくれるようになったから。
それに、もしも本当にに俺が見えていないなら、これは愛し合っている俺達に対する挑戦状なんだと思った。
受けて立ってやる。俺はを絶対に離しはしない。が俺を見る目が、絶望に塗れているとしても。


「雅治…何してるの?何か音がする…」

「ああ、ちょっと出掛けてくる。すぐ戻るけえ」


俺はリビングのソファに座っていたを強く抱きしめてから、ゆっくりと部屋を後にした。
は俺が見えなくなったという日以来俺の家でずっと過ごしている。
「近くにいないと雅治の存在まで消えちゃいそうで怖い」そう泣きながら言ったのは、もう何日前の事だったか。
に本当に俺が見えていないという確証なんてどこにも無いのに。
共に過ごす事を許して居る俺はやっぱりには甘いのだと思う。
そしてその共に過ごしきれない時間にが暇しないようにと、本屋へ向かっている自分にも、我ながら自嘲零れてしまう。

マンションの階段を下りて道を歩き始めれば、ふと感じた違和感に背筋に何かが通った気がした。
何だか酷く嫌な予感がする。
言葉では表現しきれないのだけれど、得体の知れない何かが確実に"何か"を侵食していってるような感じだ。
あまりそんな事は考えたくなくて。そんな悪い思考は振り払うように猫背気味の背を上げ前を見据えた。
すれば、感じた違和感の正体が何だったのか、はっきりとこの目で確認する事が出来た。
そう、透けているのだ。街行く人々が皆、フィルターで透かしたように僅かに透けて見えるのだ。
喧騒もざわめく声も、確かにこの耳と身体に聞こえるのにその外見だけは妙に軽々しそうで。
多分の言っていた事はこれと同じ現象なんだろう。人が透けている、この不安。
普通なら驚くであろう状況でも、俺はその時は何故か冷静でいられた。
戸惑う事無くその薄い人波に入って行って、目当ての大きめの書店へと未だ足を進めていた。
透き通る人々の間を通り抜けていくショーウインドウに映った自分の姿がやけに鮮やかに見えた。

本屋に辿り着けば意外にも人は少なく、本を探すのに集中して周りも気にならなかったから少しだけ安心できた。
が好きだと言っていた雑誌と作家の新刊と、俺の好きな作家の文庫本を数冊片手に取る。
見れば好きな作家の作品がシリーズで特集されていた。
思わず手にとって読みふけってしまえばあっという間に時間は過ぎてしまって。
そろそろヤバイか。そう思えば持っていた本を抱え直してからレジへと向かった。


「あ、仁王じゃん。お前後姿分かりやすすぎだろぃ!」


レジまで後数メートルもないくらいになった時に後ろから耳慣れた声が掛かった。
そして振り返る前にぽんと肩に置かれた手に自然と口元に笑みが零れた。この声は。
振りかえった瞬間に視界に映った姿に俺は思わず持っていた本をばさばさと落としてしまった。
俺に声を掛けたのは間違う筈も無い、同じ部活で仲がいい部類に入る丸井ブン太であって。
でもそんな彼はもうすっかり透き通ってしまっていたのだ。
きっと後数分もすれば見えなくなってしまうような、それほどまでに。
どうかしたのか、と問いかけてくる笑顔すらも瞳は後ろの本棚まで映して背筋をぞっと何かが伝った。
頭が混乱して俺は落とした本をそのままにして其の場を走り出した。
認めたくない、人が透けて見えなくなる等、そんな非科学的なことがあってたまるか。
心に浮かぶ不安とか恐れとかその類の感情を全部消してしまいたくて、人波が恋しくて本屋の外に飛び出した。
しかし一歩外を出た瞬間に俺の脚は機能を停止した。
視界には、何も映らない。何時もは人で溢れかえるこの大通りに、人の影なんか一つも見当たらない。
ビルも信号機も電子掲示板もテレビも。何もかもが何時も通りであるはずなのに生命あるものの姿だけが。
只喧騒だけが辺りを支配して、うるさいのに静かで、人の息遣いは聞こえるのに誰一人、見えないのだ。

どん、と右肩に何かぶつかった感触がした。確かに、人の感触が、した。
すみませんと後ろから聞こえた声に、彼らには俺の姿が見えていると分かった。
そして脳裏にの笑顔が浮かんだ次の瞬間に俺は走り出した。
が言っていた俺の姿が見えないとはこの事だったんだ。そこ居るのに声が聞こえるのに触れられるのに姿が見えない。
もし、もしまで見えなくなっていたら。今のには俺は見えていないのだ。見つけ出す事が、出来ない。
を感じられる事が出来なくなる、そんなのは耐えられなくて、酷く、酷く恐ろしくて。
目に見えない人混みをかき分けて進んで、只ひたすら走った。
勿論人は見えないから何度も見えない"人"にぶつかって転びそうになる。
人にぶつかる度に感じるその感触がリアルで、それが余計に恐怖心を煽って怖かった。
こんなにも中途半端にしか命を感じられないなら、いっそ触れない方がマシだと思った。

漸く家まで辿り着いて、が居るであろうリビングに向かう。
大きな足音を立ててくる俺に気づいたのか、振り返って此方を見るが確かに其処に在った。
そして聞こえた「雅治?」の言葉に、熱いものが瞼にこみ上げてくるのが分かった。


っ……!よか、…った・・・・よかった…!」


無我夢中でを抱きしめた。つい数分前まで嫌だった、触れられる事がこんなにも嬉しくて涙が頬を伝う。
だけど、幾ら涙で視界がぼやけようと目を閉じる事は出来なかった。
閉じた次の瞬間にが透き通ってしまうのじゃないかと思って、怖かったから。
どうしたの雅治、そう問いかけるに俺は小さな声で、お前さん以外見えんくなったと告げた。
の瞳は信じられないとでも言うように、吃驚とも絶望とも取れないような表情をしていた。
多分どういうことかはすぐに分かっただろう。
に俺が見えなくなったように、俺には以外の人が見えなくなったという事が。
は悲しい目をして、手探りで俺の頭を探し当てて、ぎゅうとその腕に引き寄せて抱き締めた。
こんな時に実感する、に俺が見えて無いという事実が何よりもショックで、また涙が零れた。

例えが俺を見る目が俺では無く、俺の後ろに見える背景を映しているだけだとしても。
もう俺には彼女に依存するより他に術なんて、無い。














世界で僕だけえない君





















(ねえ、かみさま。ぼくたちはなにかばつをうけるようなことをしましたか?)