最近悩み事が一つある。気にしない人はそんなの気にしないって言うだろうし、世間一般的に見てもそこまで悩む事じゃないかもしれない。だけど私にとっては大問題だ。勿論私が特別細かい人間であるとかそういう訳ではない。きっとこんな立場になれば誰だって気にする、と思う。


「ママー、ママー!ねえねえ、見て!」


そう、今目の前でテレビに映る外国の映像に向かって指をさして居るこの人物。幼い声で最近覚えたばかりの言葉を一生懸命喋る子どもは紛れも無く私と雅治の子だ。私と雅治が出会って、恋をして、結ばれて、結婚して愛を育んだ大切な証。誰よりも何よりも大切だと思える小さな命。私の腕を引いてテレビを見るように促すは、親バカだけど本当にどの子どもよりも可愛いと思う。というか間違いなく可愛い。可愛いんだけど。


「あ、あれ見てみんしゃい!…きれいじゃねえ」


幼い声にはやや不似合いな特徴のある喋り方で、天使のような笑顔を浮かべる。そう、これが最近の私の唯一で最大の悩みだ。方言を使う地域であればこんなのは全然溶け込んでしまうし、何より幼い子どもがこんな言葉づかいをしていれば可愛い以外の何者でもない。何者でもないのだけれど、今私達が住んでいるのは都心部、すなわち話し言葉は標準語に近く。やはり母親としては今はよくても後々幼稚園や小学校で浮いてしまわないか心配、というのが本音だ。いっその事そんな方言の所に引っ越そうかとも考えたけど(友人曰く広島の方に近いらしいから)仕事の都合上そんな訳にもいかない。けど幼いに折角覚えた言葉を訂正させるのも忍びないというか、可哀想というか。メビウスの輪の如くこの考えに終わりは見えない。


「おー、ほんとじゃ。綺麗じゃのう」


とは反対側から聞こえた低い声。紛れも無く私の夫で、の父親。そして私のとてつもない悩みの原因を作りだした張本人だ。雅治さえ普通の言葉づかいをしてくれていればこうはならなかったのに。間延びした声が今はやけに鼻について、小さく隣の雅治を睨んだ。


「…何拗ねとうの?も綺麗じゃよ?」


何をどう勘違いしたのか、それともわざと意地悪を言っているのか。雅治は私の頭にぽんと手を置いてには聞こえないように耳元で小さく囁いた。本当に、何年たっても相も変わらず変わり映えのしない男だ。そこがいいところでもあり、勿論悪いところでもあるのだけれど。フン、と首を振って頭に乗った手を叩いたら雅治は瞬間、何かを考えるように黙った後すぐにに「ー、本読んでやろうか?好きなの取ってきんしゃい」と告げれば威勢のいい声と共にすぐにぱたぱたと飛んでいくの後姿が見えた。部屋に残ったのは雅治と私と、無機質なテレビの向こうからの声だけ。


「で、お前さんはどうしたんじゃ?…こないだから元気ないぞ」

「…誰の所為だと思ってんのよ」

「…最近ご無沙汰じゃから体重増えた、とか?」

「馬鹿。……ハァ、の方言の事だよ。雅治のがすっかり移ってるじゃない」


溜息を吐きながら告げれば雅治はようやく閃いたようにああ、と言葉零した。(今まで気づかなかったのも父親としてどうなのって思うけど)でもその顔はあっけらかんとしたもので。自分が原因だってのにあくびれる様子も無ければ、謝ろうとも何をしようともしない。ただそれで?とでも言うように私の顔を見る雅治に、私は結婚して初めて雅治をブン殴りたい衝動に駆られた。いや、待て。私は母親、もういい年の大人。落ち着いて深呼吸、すーはー。よし。


「それで、じゃないわよ。…友達の中で浮いたりしたら、どうすんの」


低めの声に下げた顔。それにはさすがの雅治も分かってくれたみたいで、ふざけていたような顔が少しだけ真剣になった。漂う空気の雰囲気が変わって、やっと夫婦で話し合いが出来ると思った刹那、入口から聞こえたべちゃっという音に私たちは2人同時に其方に視線を向けた。見えればそこには、大量の本を下敷きにして泣きそうな顔をしているの姿。は私たちと目が合った瞬間が封切れだったかのように大きな声を上げて泣き出した。うわーん、気持ちいいくらいの泣き声が部屋中ならぬ家全体に響いているような気がして、思わず雅治と目を合わせて苦笑いした。


「こりゃまた派手にやったのう」

「もう、お間抜けさんなんだから。よしよし、痛かったねー」


傍に行って抱き寄せて頭を撫でてあげればしがみついてくるに愛しさがこみ上げて思わず笑みが零れる。小さくて、弱くて、こんなにも可愛い我が子だ。だからこそ余計にその想い以上に心配になってしまうのだ。が辛い思いをするかと思うと、自分の事なんかよりもよっぽど胸が音を上げて痛む。願わくば、世界で一番の幸せ者にしてあげたいと。そう言ってしまえば少しオーバーになるかもしれないけれど、それぐらい愛おしく想うのは事実。心の葛藤が表面にも滲み出て、見下ろす視線に影が差せばに声をかけながら散らばっていた本を片付けていた雅治が気付いて、私に優しく微笑みかけた。優しい優しい眼差し。そっと伸びた手は私の手に重なってを撫でる。私だけじゃない、も見つめている穏やかな目のまま、雅治はまた私の耳元にそっと口をよせた。


なら何でも大丈夫じゃよ。…俺との子どもなんやから」


耳を擽った声は視線と同じように優しくて、思わず目頭が熱くなった。ずっともやもやしていた心に晴れ間が差し込む。何だか上手く丸めこまれたような気がするけど、それでも、ああほんとだななんて思ってしまう私はやっぱり親バカ、否家族バカなのかもしれない。そうだよね、私と貴方の子どもだもん。きっと天下無敵に決まってる。そう考えればすごく元気になれたような感じがして、私はようやく雅治にむかっていつもの笑顔を向けた。




(ほら、もう泣かないの?ママが絵本読んであげるから)
(…ほんと?それじゃあねー、うらしまたろうとーさるかにがっせんとーももたろうとー…)
(ちょ、ちょっと待って!いくつ持ってきてるの?)
(軽く10はあるぜよ。偉いな、ようこんないっぱい持てたのう)
(えへへー!)
(……一冊交替だからね、パパ)










マイ・スイート・ベイビィ!


(うちの子が絶対世界一可愛いから!)





















におぱぱ。子煩悩な人だったりしたら萌え死にます。