春待ち
風が、吹く。冬の寒さの峠をとうに越したそれは、纏う雰囲気こそまだ冷気を伴っていたものの、1ヶ月前に比べるともうすっかり暖かい。それなのに、 「寒い」 「いや、そんな事私に言われても」 私の後ろから不満気な様子を隠そうともしない、クラスメートの仁王雅治が小さく呟いた。しかもつい一秒前までの私の思考とは全く真逆の事をこうもきっぱり言われると、腹が立つまでいかなくても返す返答は冷たくなってしまう。もしかすると仁王が只単に寒がりなだけかもしれないけど。 「おーおー、冷たいのう。マネなら『私が暖めてあげる』くらい言ってほしいもんじゃ」 「……そういう事は仕事の範囲外ですので」 ファンクラブの皆様の中に入っていけば、囲まれて暖かくなるんじゃない?無駄に多い部員全員分のドリンクボトルを洗いながら、私はそっけなく返した。風は暖かいのに水だけはまだ冷たくて、洗う手は徐々に赤みを帯びて悴んでくる。後ろから再び聞こえた小さい溜息に、溜息を吐きたいのはこっちだという心の声は抑えて暫く無言で作業を続けた。水が跳ねる音だけが、響く。 「、俺の事嫌いじゃろ」 「…好き嫌いじゃなくて私はマネだから」 唐突に言い出す仁王。仁王が変な事を言い出すのは日常茶飯事だけど。今のは何だかいつもと違った。少しだけ低くて、小さくて、まるで小さい子供が拗ねたような声に戸惑ってしまう。 「ねえ、練習戻ったら?」 これ以上仁王と話していると全て仁王のペースに持っていかれてしまいそうだ。すぐに人を振り回す、芯が掴めない人は苦手だ。早く終わってしまえばいい。この何とも言えない空気も、冷たい水も。 砂利を踏む音が聞こえて漸く行ってくれたかとはあ、と一息吐けばすっと後ろから腕が伸びてきて、それはあっという間に私の身体を捕らえた。白くて細くてだけどしっかり筋肉のついた腕の片方が腰を引き寄せて、もう片方はまるで私を逃がすまいとでも言うように肩から回されて。あまりにも早い動作に私は抵抗する事も忘れて固まってしまった。 「に、仁王?な…」 「なあ、。…俺の事好き?」 何で、そう聞こうとした声は仁王に遮られた。ほんの少し前までは遠くから聞こえていた声が、今度は耳のすぐ後ろで感じて私の顔が熱をもった気がした。言われた言葉にも勿論だけど、その声の低くて甘い事に。 「だ、から…私は、マネだって、」 「マネは今関係無いじゃろ。好きか嫌いか、聞いとうのやけど?」 腰に回された腕に力が篭って、仁王と私の距離がまた近くなった。抵抗、しなきゃ。離してって言ってこの腕を振り払ってコートへ逃げれば、幸村や真田が居る。仁王がまたサボって私をからかってくると言って、ランニングでもやらせて貰えばそれで私は逃げられる。それ以前にたった今すぐ大きな声を出せばきっと一人ぐらいは気付いて様子を見に来てくれる。こんな拘束逃げるのは、簡単だ。なのに、 「わ、たし…私は…」 思考はどれだけ冷静でも抱きしめられている身体が言う事を聞かない。仁王に触れられている箇所から熱が身体中を侵食して、声が上手く出せない。未だ指先に微かに当たる水の冷たさも分からない。只感じるのは、仁王の息遣いと生暖かい風に運ばれて鮮烈に香る彼の匂いだけ。 「なあ…俺の事、好き?」 何が言いたいかって言うともうすぐ春ですねって事です(words by 1204さま...Thank you!) |