「待って」 「待たない」 「お願い」 「嫌」 「頼むから」 「嫌だってば」 「…1人にすんな、って」 冷え切った水を入れた水鉄砲を撃ちあうように、小さな硝子の欠片が入り込んだ言葉を投げ合っていた。痺れを切らして帰ろうとしたあたしに、雅治が後ろから声をかける。振り向かないあたし。諦めない雅治。掴まれた腕を振り払うあたし。急に感じた体温。耳に降り注ぐ掠れた、声。背中に居る雅治がどんな顔をしているかは分からない。がっしりとあたしを閉じ込める腕がどうして震えているのかも、分からない。分からない事が多すぎてあたしの頭と身体はパニックになって固まった。喧嘩の熱は勿論冷めてなんかない。だけど脳まで届いた音が余りにも切なすぎたから。2つの感情が混ざり合ってあたしの心臓はいつのまにか大きな鼓動を挙げていた。背中から感じる雅治の心音は、止まってしまいそうな程に小さいのに。 「なあ」 「」 右肩に置かれた頭が重い。だけど雅治の何時もとは違う声が耳に入る度に、あたしの身体は動かなくなる。そして、それに反して雅治の力は強くなるばかりだった。何だか変だ、あたし。引き寄せられるお腹は痛いと悲鳴をあげているのに、身体中を繋ぐシナプスがどこかで途切れているみたい。脳が言う事を聞かない。綺麗な弧を描くように、終わりは見えない。 「…、すまん」 さっきまで雅治に言い負かされていたあたし。 「俺が悪かった、から」 小刻みに震えて首筋を何度も掠める銀色の髪。 「行かんといて、」 泣きそうな、多分、きっと泣いている、雅治の声。 今のあたしには見えないけど、見える。きっと雅治は泣いてる。 「…っ、…」 何か、言って。その声が聞こえた瞬間に堪らなくなって、振り返って雅治の頭を抱きしめた。ぎゅうぎゅうに力を込めても、雅治は苦しがるどころかもっと強くあたしを抱き返す。目の前に居るのが何時もの雅治じゃないみたいに、こんなに感情を露わにする雅治は初めてで。そんな事を考えると、速まったままの心臓が一度だけきゅんと鳴った。こんな雅治、誰も知らないよ。今ここで貴方を抱きしめているあたしと、殺風景な部屋に置かれた写真の中の2人以外、誰も。 「…雅治、泣かないで」 ふわふわの銀髪を出来るだけ優しく撫でれば、胸の方から鼻声の「泣いてない」が聞こえた。
泣きたくなる夜について
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