わたしはすこし変わっている。―と、思う。自分で自分のことをこんな風に思うなんて自意識過剰なんじゃないかとも思ってしまうけどでも本当にそう思う。私は変な子だから。同級生の子達が好むような集団行動とか苦手だし、かっこいい人の話にも興味が持てない。音楽の話だって好きな漫画や小説の話だって何も合わない。でも沢山の人の中で私だけがあからさまに浮いているのも何だか嫌だから友達みんなの話に興味を持っているようなフリをして、いつも心の何処かで居心地の悪さを感じていた。学校はきらい。一人が落ち着く。周りの目も気にしなくていいし、自分の好きなことをしていられるから。

*

今日は雨が降っていた。よく周りの友達は雨は髪の毛が纏まらないとか濡れるとか言って嫌がるけど私は実は雨が好きだ。雨が降っている日はみんなが早く家に帰りたがる為、こっそり通っている図書室が静かだから。いつもよりも薄暗い、人の気配が無い図書室は何だか凄く安心する。いつもポケットに入れてあるオーディオから好きなジャズのナンバーを選んで、少し音量を上げてから片耳だけイヤホンを突っ込んで、私はゆっくり本を開いた。目の前に広がるのは中原中也の詩の世界と、耳から入ってくる雨とジャズの綺麗なコントラスト。こうしているだけで、世界のすべてから解き放たれたみたいに開放的な気分になる。学校に居る間は何重にも鍵が掛けられた扉がゆっくりと開いていく。―だから、久しぶりに感じる幸福に酔いしれていた私には気づけなかった。いつの間にか図書室の扉が開いて、一人の人物が私の真後ろに来ていたことに。

「ーポッカリ月が出ましたら、舟を浮かべて出掛けましょう」

雨の間に真後ろから聞こえた低い声は誰もいない図書室に酷く響いた。―そして、私の心にも。誰もいないと思ってすっかり自分の世界に浸っていた私は驚いて声のした方―後ろに振り返った。そこには、1つ椅子と机を挟んだ向こう側に私と同じように座りながら、だけど窓の外を見上げる仁王くんの姿があった。仁王雅治。2年の時に同じクラスだった彼は学校の有名人であり、ろくに話をした事もない私なんかとは縁が遠い人だ。確か一度だけ席替えで隣になった事があったけど、その時も特に話なんかしなかったし。(何よりファンクラブの目が怖かったし)とどのつまり、私は仁王雅治という男に対して何も知識がないのだ。どうしてここにいるのか、はいいとしてもどうして私に話しかけたんだろう。しかもよりによって今私が読んでいる中原中也の恋の歌の一説を。

「続き、知らん?」

仁王くんはずっと窓の外にあった視線を私に合わせて、小首を傾げて聞いてきた。急に合わさった視線に何だか心臓がどきりとした。何を考えているのか、薄暗い所為で仁王くんの表情はよく見えない。だけどしっかりと合った視線が何だか、とっても―。
少しだけ湧き上がってきた緊張を誤魔化すように、いつの間にかからからになっていた喉にごくりと唾を飲み込んだ。

「…波はひたひた打つでしょう、風も、少しはあるでしょう」

忘れることのないフレーズ。表紙を開いたらすぐに目に入ってくるその詩は、他の詩人が書くものよりも不可思議な言葉の羅列で、古めかしくて。だけど心の何処かを燻ぶって、忘れられなかった詩だ。自分の声で口にすれば何だか気恥ずかしくて、重なったままだった視線を逸らせば仁王くんが満足そうに微笑んだ気がした。

「何か意外。仁王くんが中原中也を読むなんて」

「ああ、そうだな。俺も自分がこんなもん読むとは思うとらんかった」

よくよくかみ締めれば矛盾している仁王くんの言葉に頭の中にはクエスチョンマークが浮かぶ。きっと顔にも出ていたんだろう。くっくっと可笑しそうに笑う声が聞こえて、顔が徐々に熱を持つのが分かった。
仁王くんの声は不思議だ。でもそれを発する仁王くん本人は、もっと不思議だ。

「俺がこの本知ったのって、のお陰なんじゃがな」

そういって仁王くんは何でもないように手元から出した一冊の本をこちらに見せた。ひらひらと左右に振られたそれは、確かに今私の手の中にある本と同じものだった。でも、学校に持ってきた事なんかあまりなかったし(友達に見つけられるのも嫌だったから)いつもカバーを掛けていて題名なんか見せたことも誰かに教えたこともない。ましてや数えるほどしか話したことのない仁王くんだ。どうして私?視線に乗せただけのつもりだった疑問は自然と口からも出て、仁王くんに言葉を繋いだ。

「2年の時に1回だけ俺とが隣の席になった事あるじゃろ?あん時。何読んどるんじゃろってちょっとした興味本位で覗いたんだが、このフレーズが忘れられんくて」

しかし本屋回っても全然見つからんくてな、ネットでも全く当たらんし、古本屋でようやく埃被っとったコイツを見つけたんじゃよ。仁王くんはそう言いながら古びて少し黄色がかった本を軽く叩いて笑った。同年代で、こんなちょっと一昔前の本を読んでいるのは私だけだと思っていたのと、いつもとは違うその子供のような笑顔の所為で仁王くんから目が離せなかった。なんだか、うれしい。

「私、も…古本屋で見つけて、一目でそのフレーズが気に入って買ったの」

思いがけず同じ気持ちを抱いていた人に出会えて、嬉しくて、小さく笑いながら返せば仁王くんは一瞬目をぱちんと開いた後にふっと笑った。同じじゃな。そう言う仁王くんは私が思い描いていたような人とは大分違っていて、心臓が何度もどくんどくんと音を上げる。ずっと降り続いている雨の音よりも、イヤホンから流れるジャズよりも大きく。
ふと仁王くんを見れば、彼は徐に立ち上がってなんともない表情で私が座る席へと近づいてきた。何だろう。行動が読めない仁王くんを目で追っていると仁王くんはあろうことか私の隣の椅子を引いてそこに座った。緊張で強張る私の肩なんてお構いなしに、悪戯っぽく口の端を緩めたまま仁王くんが手を伸ばしたのは、外れて宙ぶらりんになっていた私のイヤホンの片方だった。

「ちなみに、俺も好きなんよ、ジャズ」

片方貸して、と疑問系ではあるけれど私の答えなんて聞く前に仁王くんはイヤホンを耳に掛けた。決して長くはないコードが延びきっても、私と仁王くんの距離はとてつもなく近かった。どうしよ、う。心臓が破裂しそうだ。それにこんなに近かったら顔が赤いのもバレてしまう。頭の中が羞恥心でぐちゃぐちゃになってイヤホンから流れるジャズなんか全然入ってこなかった。
結局仁王くんは一曲丸々聞いた後に私の頭を撫でて「ありがと、また聞かして」と言って図書室から去っていった。―"また"を期待してもいいんだろうか。大きな手のひらの感触と低い声がまだ残っている気がして、私の心臓はその後も全然収まらなかった。


オータムグレイ




















(貴方の欠片を見つけました) (作中詩*中原中也の恋の歌より*表記の仕方が口語になっております)