鍵を掛ければ二度と出てこられなくなるような場所に行きたい。そんな風に思っ ていたのがどれだけ昔かなんて、もう忘れた。分かるのは昔のあたしが馬鹿だっ たということだけだ。自由の風に吹かれて紙上の夢を描いていた。−ううん、そ んな訳じゃない。ただあたしは、"平凡な"愛が欲しかっただけなんだ。初春に照 らす柔らかい太陽みたいに、どこにいても包み込まれるような。

「なあ、何しとうの?」

撫でるように甘い雅治の声が聞こえて振り返れば、いつの間に居たんだろう、座 りこんだあたしの真後ろに雅治は居た。少し前のあたしならきっと驚いて悲鳴を あげていただろうけど、繰り返される動作のお陰で雅治が齎すもの全てにすっか り慣れてしまった。心臓はもう鈍いリズムでしか、僅かな生を刻まない。

いつからだったかはもう覚えてないけど。−ご飯を食べなくても平気になった。 水をとらなくても平気になった。全部慣れてしまえば苦痛も何も伴わない。ただ 今ある環境に順応して、限りある中で体が勝手に生きて行こうとする。人間の体 って本当に生き延びるために出来てるんだと思った。中のあたしの意思なんて関 係無しに。遺伝子の前に意識なんか無力だと言っていた生物教師の声は、もう思 い出せない。あの頃みたいにそんなの嘘でしょって、笑えない。

「―何しとうのって聞いとるんじゃが」

ドン−鈍い音が響いた瞬間、詰まる喉。冷たい雅治の片手が首に纏わり付いた。 きっと雅治はあたしが返事をしなかった事が気に食わなかったんだろう。硬い壁 に真っ直ぐにぶつかった背中が痛い。だけど、あたしの首に手を回して壁へと押 し付ける雅治の顔は、笑っていた。笑っていたと言うよりももっと穏やかで柔ら かな、何か錯覚してしまいそうなくらいに優しいそれに、久しぶりに心臓の鼓動 の音が聞こえたような気がした。何だかとっても、安心する。重い手をあげてゆ っくり手を伸ばせば、口端を歪めた雅治の指に倍以上の力が篭った。

「―か…はっ…あ」

核心を持って気道を押し潰す指先。あっという間に苦しくなる息。圧迫された喉 が僅かな空気を求めて口がぱくぱくと声にならない声をあげる。雅治に伸ばして いた手でその手を離そうとしても、白くて細い腕はびくとも動かない。−苦しい 、苦しい苦しい苦しい!お願い雅治助け、て。
スパークしたような脳でそれを叫んでも雅治は綺麗に笑うだけだ。もう白みかけ た視界に嗚呼でもあたし漸く死ぬんだ―、そう実感した瞬間、腕の力は瞬く間に 緩められた。

「っげほっ、」

あっという間に鮮やかになる世界。どっと入って来る酸素にむせて咳が止まらな い。それでも死ぬほど酸素を求めていたあたしの体は力いっぱい息をしていた。 喉が焼けるように、熱い。大きく上下する肩にゆっくり手を置かれて顔を上げれ ば、雅治の指が目尻から頬のラインを撫でた。忘れかけていた生への衝動が背中 から掻き立てられて、無意識に涙が流れていたみたいだ。

「…痛かったか?」

未だに呼吸をするのに精一杯なあたしは雅治に何も返す事が出来なくて、静寂に あたしの息遣いだけが響く。だけど、労るような、小さな子供にかけるような優 しい声にもう一筋だけ涙が溢れた。
これがいつから、なんてもう覚えてない。雅治は繰り返しあたしの首を絞めて、 本能に縋り付く生への執着と終わりへの希望を実感させてから冷たい現実へと引 きずり落とすんだ。あたしがずっと大好きだったあの優しい笑顔で、どうしてこ んな事をして、あたしに何をして欲しいのか。昔は目を合わせるだけでお互いの 考えてる事くらい簡単に分かったのに、今の雅治は何を考えているのか全然分か らない。だから、真っ暗な部屋よりも空気を遮断されるよりも、それが1番、怖 い。

「ど…して…」

それでもwhyを投げかけるのは、変わってしまったこの人を心のどこかでまだ分か りたいと思っているからなのか。あたしの言葉はゆっくり微笑んだ雅治の色素の 薄い唇に吸い込まれて、消えた。

「愛してるんじゃよ、
お前に関わる俺以外の全てを、消しさりたいと思う程に

あの日への戻



僕      り



は      方



未      を



だ探してる

(だけど何処を探しても、ねえ、見つからないの)
なんかデザインがいまいち決まらない…悔しいZE!