風が吹く。葉っぱ同士がさらさらと擦れ合う音が聞こえる。空には雲ひとつない。あたしはじっと2羽の白い鳩が、ぴったりと身を寄せ合って空の向こう側へと飛んでいくのを見つめていた。鳩は平和の象徴だとどこかの本で読んだ事がある。その時はそんな迷信、と笑い飛ばして居たけどもし、あの鳩がそんな世界に向かっているのなら、その細い足であたし達を浚ってくれたらいいのに、と笑っちゃうくらい子供っぽくて少しだけロマンチックな事を考えた。日曜日の野原はいつだって晴れ模様だ。そしてあたしの心も天気に同調されて明るい、筈だった。今回は気持ちいいくらいの快晴に反してあたしの中では雨が吹き荒れる。ひどく暗くて、寒くて深い闇。きっと"貴方"という光を失くしてしまうからだ。これから先あたしはこんな暗闇の中で生きていかなければいけないのかと思うと、涙より先に背中がぞっとする。絶望って言葉はきっとこんな時に使うんだと思った。それでも。―あたしは誰よりも何よりも国光を愛してる。だから、あたしには分かる。きっと国光はもう帰ってこない。 「――どうしても、行かなければならないのですか?」 「ああ」 あたしの耳に届く国光の声も、視界に入る端正な顔も驚くほどに何時も通りで。気を抜けば錯覚してしまいそうだ。明日も明後日も、あたしの隣には貴方がいるのだと。少なくともほんの少し前のあたしはずっとそれを信じていた。たまにドジをするあたしとそれを優しく見守ってくれる国光、2人で笑いあって命を分け合っていけると思ってた。なのに、どうして。憎らしいくらいに澄みきった空を見上げても、視界を曇らせていく涙は止まらない。上を向いて歩けば涙が零れないなんて嘘だ。あたしの頬には一筋、雫が伝った。 「…。俺は絶対生き延びてみせる。だから、泣くな」 ふわりと後ろから国光の腕に包まれた。香る国光の優しい匂いに涙線は更に刺激される。国光と向かい合ってその身体をしっかりと抱き返して見つめ合いたいのに身体が動かない。壊れたロボットのようにあたしは只静かに涙を流した。生き延びてみせる、そんな言葉は強くて弱くて真っ直ぐな貴方らしくて、だけど、何かを確信してしまっているあたしの心臓にはひどく悲しい言葉だった。 「俺を忘れてもいい。だけどこれだけは約束してほしい」 国光がどうしてそんな事を言うのかわからなかった。忘れてもいい、なんて言われても絶対忘れてなんかやらないし、あたしにそんな事が出来る訳ないのに。わかってないなあ、国光は。あたしにとって貴方を失う事は空気を失う事と同じなのに。なのに。なのに。どうして空気は途絶えてしまうんだろう。何でしょう?と返した筈の声は涙の所為でくぐもってよく発音出来なかった。 「何があっても絶対に、死ぬな。生きて、生きて生き延びるんだ」 変な事を言うのね、国光は。命の危機に晒されるのはあたしじゃなくて貴方の方なのに、貴方の背中に只守られるだけのあたしに死ぬなと言うなんて。ぎゅう、と国光の胸に引き寄せられればかちゃり、眼鏡が落ちる音がして首筋に何か伝うのが分かった。きっとあたしの頬を流れているのと同じものだ。あたしの身体をしっかりと繋ぐ国光の腕は僅かに震えていた。そして、それにゆっくりと手を重ねるあたしも震えていた。静かな風だけがあたし達を包み込む。滲んだ空を見上げれば、よく見えなかったけどやっぱり綺麗な青が映った。
星が泣く |