(人生とは無機質の連続と刺激の毎日)

本や大量の資料の棚で埋め尽くされた6畳半の狭く暗い部屋に紫煙が広がっていく。自分が吐き出したものがふわふわと空気上を漂い、透明になっていく様を手塚は中央に置かれた簡易式のテーブルに腰をおろしながらぼんやりと眺めていた。少しだけ離れた椅子には自分のぱりっと整った学ランの上が丁寧に掛けられている。こんな狭い部屋でたった少しの距離を置いただけで学ランに匂いがつかないはずがないのに、少しでもそんな些細なことを気にする自分に手塚は嫌気がさして、もう一度深い溜息と一緒に煙を吐き出した。―時々、こうやって無性に一人で思考に耽りたい時が彼にはあるのだ。大切なテニスのことを考える時、進路を考える時、生徒会のことを考える時、友人のことを考える時。それらに煙草は丁度いい供で。運動に煙草はよくないと自ら重々承知の上でありながら、彼がそのようなことをするのは、張り詰めた毎日に嫌気がさしているのか、それとも。という訳ではなく、彼自身や周りや生活に不満がある訳では決してない。自分の己にも他人にも厳しくという性格は自分なりに気に入っている。一緒にテニスが出来る友人もいる、己を分かってくれる人もいる。自分は満たされている方だと手塚は自負すらしている。それならば何が彼をこの6畳半に駆り立てるのか。その理由は彼自身もよく分かっていない。敢えて言うなら退屈なのかもしれない。優等生の自分、努力を怠らない自分、満たされた生活。人というのは貪欲なもので、どれだけ満たされてももっともっとと欲しがるのだろう。刺激は、ある。だが足りない。そんな風に欲望に塗れた自分を酷く浅ましいとも思うが、こんな手塚を知るのは手塚自身と、後一人だけなのだから、と何度も考える自らの行動の意味をいつもと同じような答えで終わらせて。多分、もうすぐ来るはずだ。半分以下の長さになった煙草をもう一度咥えた。

「あれぇ?今日は随分早いんだねぇ。絶対先に着いたと思ったのにぃ」

鍵を回せばノックもせずに部屋へ入ってきた女、は入った瞬間に間延びした口調で零した言葉とは裏腹に楽しそうに笑顔を浮かべた。ちらりと彼女の方を一瞥してから表情を微塵も変えることなく手塚はもう一度ふーっと煙を吐き出す。

「…そろそろ来る頃だろうと思っていた」
「ふふ、おはよぉ。手塚」

仏頂面の手塚の横に、相変わらず楽しそうなが腰かける。何で今日はこんな早いのぉ?なんてニヤニヤしながら顔を覗きこまれても手塚の表情は変わらず、淡々と気まぐれだとだけ返した。ふうん、と適当にが返したところで言葉は途切れて、空気中に漂う煙草特有の匂いだけがその場に残る。

「あれぇ、珍しいねぇ。制服いつもは隣に置いておくくせに」

そう、だから今日は手塚より早く着いたと思ったんだよぉ。部屋の隅の椅子にかかった制服の方を見やりながらが呟く。2人が今いる場所は生徒会長専用の生徒会資料室であり、生徒会室の隣にあるのだ。まさか生徒会長が、しかもあの手塚が、この部屋をこんな風に使っているだなんて誰も考えまい。との考えのもとこの部屋を手塚は使用していた。それでも、ほんの微かに指先に残っていた匂いだけで彼女にはバレてしまったのだけれども。
気まぐれだ、手塚はテーブルの上にぽつんと置かれた携帯灰皿の上で煙草を潰しながら再びそう答えた。視線を灰皿の上にやっていたせいで、がちゃ、と音がするまで彼女が動いたのには気づかず、ちらと視線をやってみれば彼女は椅子に掛けておいた学ランの上を丁度隣の部屋、生徒会室に投げ入れているところだった。バサッ、ガチャン。制服が向こうにも置かれた机の上に乱雑に落ちるのを見る前に扉は閉まる。嬉しそうに唇を緩めながらこちらを見つめるに、手塚は意味が分からず眉間を寄せた。

「…何をしている」
「えー、だってぇ」

もったいぶってゆっくりと学校指定の内履きをきゅっきゅっと鳴らしながら近づいて、手塚の目の前で止まるに、彼女をしかめっ面で睨む手塚。未だ机の上に浅く腰かけたままの手塚との目線は同じ高さで、たっぷり10秒ほど見つめあった後には手塚の首に手を絡め、にっこり笑った。

「他の人が匂いに気付いちゃったら、手塚を独り占め出来なくなっちゃうでしょぉ」

わたしはわたしだけの手塚がいいの。ちゅ、と軽いリップノイズをたてて手塚の唇にキスをしては楽しそうに笑うに、手塚はふ、と口角を少しだけ上げて煙草の匂いが残る口のままに口づけた。まだ煙草を吸っていない彼女の唇の中にも匂いが残るように、移るように。

残照に帰す


優等生×不良というシチュがたまらなくすき。