今年はうじうじと蒸し暑かったけれど、何だかんだと楽しかった夏が終わった。眩しい太陽の痕跡が残る海の風は少しだけ冷たい。夏服の袖から入ってくる風に、寒いか、と心配してくれた蓮二にううんと返すかわりにぎゅっと手を握り返した。

いきなり学校帰りに海に行こうと言い出したのは蓮二だった。あまりにも珍しいことを言い出したから一瞬何を言ってるのか分からなかった。―海。そういえば今年の夏は蓮二の全国大会の応援と、受験勉強しかしていない。きっとデートらしいデートは1度も出来なかった罪滅ぼしか何かかと思って、あまり深く考えずにわかったと返したのはもう1時間も前の話だ。数十分バスに揺られてたどり着いた海は思いの外静かで、ゆっくりとした時間が流れていた。穏やかな波が寄せては返す波打ち際。ぼやけた夕日が照らす砂浜は真夏よりもよっぽどオレンジ色に見える。着く前に考えていた、靴を脱いでちょっとだけ海に入ろうかな、なんて考えは規則的な音に吸い込まれていった。

「なんか静かだね。このまま消えちゃいそうな感じ」

「…らしくないな、そんな風に言うのは」

潮風に吹かれて感傷的になってるのか?からかうような声色で降りかかった蓮二の言葉に、もうすぐ秋だからね、と同じような声で返せば頭上からくすくすと笑い声が聞こえた。

「それもそうだな。太らないように気をつけるんだぞ?」

「…さっきから思ったんだけど、なんか今日の蓮二失礼だよね」

タオルを鞄から引っ張り出してお尻の下にひいて座っても、スカートがじんわりと湿ったような気がしながら、学校を出てからいつもよりも饒舌な蓮二に隣に座るよう促した。目いっぱい広げたタオルにはあたしと蓮二がぎりぎり入る程度だ。今日はハンドタオルにしなくてよかった、と心の中で自分を褒めてからふっと蓮二の顔を振り返ると、真剣そうな顔で海の向こうを見つめる蓮二がいた。いや、もしかしたら夕日を見ていたのかもしれないし、空を見ていたのかもしれない。只でさえ表情が読みにくい蓮二のことだからあたしにはよく分からないけど。――でも、その真意を読ませてくれない瞳があたしを余計に惹きつけるんだ。何処かに見惚れている蓮二の顔に、あたしは暫く見惚れていた。波の音が、聞こえる。

「どうした、そんなに俺を見て」

今気づいたのか、視線に耐え切れなくなったのか。ああ、蓮二ならあたしの視線くらい簡単に気づくかな。きっと後者であろう蓮二が柔らかく笑って、あたしの視線にようやく応えた。ふっと緩んだその顔が余りにも優しく見えたから、胸の真ん中がずきんと痛んだ。
―なんでもない。そう呟いて隣にいる蓮二の腕に縋り付くように腕を絡めて寄りかかった。いつも自分は人より低いのだと言う蓮二の体温を感じたかった。シャツ越しに伝わる温度は、彼が言うよりもずっと暖かくて心地いい。そう、例えば今目の前に移っているオレンジの夕日みたいに。

「そういえば、この間習ったんだけどね」

「ああ」

「夕方のことを"黄昏時"って言うんだって」

「知らなかったのか?」

さも当然かのように答える蓮二に少しむっとして、知ってたよ!と振り返れば笑いを抑えたような声でそうかと返された。これだから秀才はいやなんだ。じゃなくて。

「それでね、でもこれは知らなかったんだけど」

「何だ?」

「"黄昏時"って、終わりって意味があるんだって」

それって何だか寂しいよね、とふと辞書で調べてそれを知った時の感情が蘇ってきて、ほんの少しだけ蓮二の腕を握る手に力を込めた。さっきまで明るかった夕日に、夜の影が忍び寄ってくるようで。切なくて、もどかしくて、なんとも言えない感情があたしの胸をちらついては消えていく。

「そうだな。辞書的に言えば間違いは無い」

―が、俺は少し違うと思う。蓮二の声にえ、と顔を上げればまた柔らかく笑っている蓮二がいた。

黄昏時というのは、厳密に言うと"盛りを過ぎた末期"の意味で、これは元々古典用語から来ている言葉なんだ。漢字も元来のものは"誰そ彼時"で意味も今とは少し違う。"相手が誰なのか定かに判別出来ない時"、即ち薄暗くて視界が見えにくい時ということだ。大方夕暮れを指すのはここから来たんだろう。で、最初に言った"盛りを過ぎた末期"の由来はと言うと夕暮れ=一日の終わりという流れで導き出されたと考えるのが妥当だな。だが俺にはそもそもこの"日が沈むから一日が終わる"という解釈が余りにも単純過ぎると思えてならない。確かに昔は今のように電灯も無いし、日が落ちればあるのは暗闇ばかりだ。だが蝋燭を指せば光など幾らでも手に入るし、何より子孫を残すための行為を行うのは古来より夜と決まっている。日が落ちるのは即ち夜の到来を意味しているんだからな。命が出来るのが夜だとするなら、日が落ちるのを終わりとするのは間違いだと思わないか?

蓮二がそっとあたしの頭に手を添えた。大きな手があたしの脳内に魔法を掛けるように、いつもは難しくて一つも理解できない蓮二の言葉がすっと染み込んでくるような気がした。

「終わりじゃなくて始まりってこと?」

「俺はそう思う」

足りない頭をフル回転させて問いかければ、満足そうに蓮二が微笑んだ。ふうん、蓮二って意外とロマンチストだったんだね。からかいの意味を込めて見上げれば珍しく声を上げて笑った蓮二にあたしが目を点にした。浪漫は無いな、だが―。不思議そうにしているあたしの頭を引き寄せて、蓮二の端正な顔が近づいてきた。緩やかなカーブを刻んだ口端が揺れる。「が居るからそう思った」言葉が聞こえた瞬間に止める暇も無く唇が触れ合った。









そして



世界が



移ろい往くのだ








(さあ、そろそろ帰るか。俺達は今から命を創らなきゃならないしな)
(ちょ、ちょっと待って!あたし達まだ中学生だよね?!)







忘れかけていた久々の中3設定。そうだ君達は中学生だったなあっはっは∀