「世界は何で出来ているか知ってるかい?」 何時も通りの柔らかい、少しだけ抑揚のない声で精市はあたしに問いかけた。あまりにも唐突だったから何を言われたかすぐには理解出来なかった。精市に視線をやれば精市は化学の教科書に目を落としたままあたしの方を見ようともしない。だけどその口元が緩んでいたので一つだけ分かった事がある。精市は今多分、凄く機嫌がいい。 「…水?」 世界、世界。一言で世界なんて言ってしまえば随分コンパクトに纏められてしまうそれだ。自分の目で見える物が世界だという人もいれば、この宇宙全てが世界という人もいる。それこそアバウトに地球と答える人もいるかもしれない。だからこそぎゅうぎゅうに詰められた"世界"が何で出来ているかなんて、今更何て答えたらいいか分からない。 「何でそう思うの?」 視線は未だ教科書のままに、精市は間髪入れずにまた難しい質問をストレートに投げ込んできた。何で、と言われてもふと頭に浮かんだ単語を答えただけだから理由なんてある訳もなく。視線を下に落とせば目に入った一文にあたしは、目下のプリントの問題文に書かれていた言葉を音読するように口にした。 「"水の化学式はH2O、即ち水は水素と酸素で出来ています。これに電気エネルギーを加えると水は酸素と水素に分解します。"」 「…それで?」 「水からは酸素が得られる。酸素に水素を加えれば水が出来る。水があればとりあいず身体の水分は無くならないし、酸素があれば呼吸が出来る、でしょ?」 とっさに思いついたどこかの冒険家のような台詞に、我ながらうまい事を言ったな、なんて呑気な思考に口端は自然と上に上がる。目の前からくすりと小さな、可愛い笑い声が聞こえた。見れば精市は可笑しそうに手にしていた教科書で口元を隠しながら目を細めていた。 「ハズレ」 嗚呼やっぱりこの人の望む答えとは違ったんだ、と心から実感した。精市はいつだってあたしには遠く及ばない所に居る。考え方もその存在すらも、何もかも。 世界はね、あ、は世界が100人の村だったらって本を見た事あるかな?まあ読まなくても題名だけで大体どんな内容か分かるかもしれないけど。とにかくその本の中では世界は100人しかいないと仮定されてる訳だよ。これって可笑しいと思わない?世界が100人なんて在り得る訳が無いのにそれこそ核兵器を使ったって約7憶の人口が100になる可能性なんか殆ど0に近いんだよ?1%でも可能性があるならやる価値があるって言う人もいるかもしれないけど俺は出来るとは思わないな。まあでもとりあいずこの話はこういう仮定から始まるからこの話はまた今度にしようか。それでね、もし世界が100人の村だったら人間は大きく4パターンに分けられるんだよ。お金持ちで何もかもが満ち溢れている人とお金持ちだけど何も満たされていない人と、貧乏だけど何もかもが満ち溢れている人と貧乏で何も満たされていない人の4つにね。は自分がもしこの世界の100人に選ばれていたら自分はどのグループだったと思う?俺は勿論お金持ちで何もかもが満ち溢れている人に入ってると思うなあ。―何、どうしたのそんな顔して。は本当に面白いな。あ、でね、話を戻すけど4パターンに分かれた後の人間は決してそのポジションが変わったりしないんだよ。つまり、満たされてる人はずっと満たされていて、涸渇した人達はずっと干からびたまま。変えちゃうと均衡が崩れちゃうんだろうね。でもそんなのが世界のバランスを取ってるんだと思うと反吐が出るくらい苛々してこない?だから俺読んでる途中だったその本をそこで破り捨てちゃったんだよね、ふふ。今思うと捨てないでおけばよかったなって思うよ。後からよくよく考えると続きが気になって仕方無かったんだ。あの本がどうやって終わったのか。俺なりに続きを想像してみたんだけど、俺が考える世界なんて一つしかないしさ。でもやっぱりどうしても気になって、その本を買った本屋に行って来た。本は無かったけど本が在った場所には新しい本が入ってたよ。本の題名が"世界は愛で出来ている"だったんだ。笑えると思わない?ナナメ読みしたその小説は虫唾が走るくらいの純愛小説でさ。命がどうのこうのと書かれた後に入ってきたのは結局愛なんだよ。世界=愛なんだって。本当に、可笑しいよね。 くすくす。まだ教科書で隠したまま笑顔を浮かべる精市は本当に無邪気な少年みたいだった。半分を過ぎた辺りから長くて少しだけ難しい精市の話を聞き流していたあたしが、結局精市にとっての世界は何なのと問いかければようやく精市と視線が合わさって、精市は今日1番の笑顔で答えた。 「」 |
拝啓、世界様
林檎の書く幸村くんはものっそ黒いです。…寧ろ黒さがモットーですとか言ってみる。