『浮遊する、ココロ』




















ミステリー、恋愛小説、歴史小説、書庫には沢山の本が所々に敷き詰められていた。 大きなカーテンを開かなければ少し薄暗い其処は、のお気に入りの場所の一つだった。 ここで面白い本を借りて、天気のいい日に庭に出て小鳥の声を聞きながら本を読む。 丁度お腹がすき始めるようなタイミングには雅治がバケットに食べ物を持ってきてくれる。 一緒にご飯を食べながら雅治と他愛も無い話をして、1日を過ごす。 と雅治はそんな日々を送っていた。 ある日、がいつものように書庫にやってきた時の事だった。 書庫の大きな扉を開けばいつもは暗い室内がやけに明るくて、は眩しさに目を細めた。 書庫の中には既に雅治が居た。 いつも朝食を済ませば自分の部屋に戻る彼がここにいるなんて何だか珍しい。 そんな思考にかられ思わずぼうっと彼を見つめたまま動かないに、雅治は苦笑を浮かべた。 「何ぼうっとしとうの?…こっち来んしゃい。」 正面に置かれたブラウンの綺麗な刺繍が入った長テーブルに、同じように添えられた椅子。 それの真ん中に座った雅治が、自分の隣の椅子を引きながらに向かって手招きをした。 雅治の声でようやく再起動したは、ゆっくりと引かれた席に腰掛けながら雅治の事を食い入るように見つめた。 「…びっくりした。あの、ごめんね?まさか居ると思わなかったの。」 いつもは雅治部屋にいるじゃない、と苦笑した。 そんなを見て雅治はふいと拗ねたように反対側を向いて見せた。 「俺が此処におったらだめなんか?」 「え、あ、違うの!そういう訳じゃ!」 慌ててが焦ったように手を振って弁解すれば、それを横目でちらりと見た雅治は可笑しそうに肩を震わせた。 からかわれた、と頬を赤らめるにくっくっく、と喉で笑う声が静かな部屋に響く。 振り返って「冗談じゃ」と雅治がの頭を撫でれば、の心臓はとくんと高鳴った。 自分は先日から何かおかしい。 頭の上に感じる雅治の暖かい手のひらが心地いい。 見つめる眼差しは柔らかく、日の光に照らされたように心がふわりとした風に包まれる。 そう、あの日。雅治とこの城で二人で暮らし始めてから、少しずつ芽生え始めた小さなもの。 ―こんな気持ちは、初めてだ。 は心の中に生まれた新しい感情を戸惑いながら感じていた。 そして、またもやぼうっと思考に耽るに雅治は首を傾げた。 「どうした、?」 雅治の声にはっとしたは「何でもない」と首を振った。 「そ、それよりも、今日はどうして書庫に居るの?何か探しものとか?」 「…いいや。別に、特に用事は無いぜよ。ただ…。」 途中で途切れた声には頭に?を浮かべる。 不思議そうに目を丸めるに雅治はまた柔らかく目を細めた。 「ただ、今日はと過ごそうと思っただけじゃ。いつも一人で本を読むだけじゃつまらんじゃろう?」 「…私そんなに子供じゃない。」 口を出た言葉とは裏腹に、頬は素直に赤く染めるに雅治は笑みを深める。 先程から自分を見られては笑まれるばかりのは何だか気恥ずかしさを感じて思わず席を立って本棚に向かった。 これ以上雅治にからかわれては余計に墓穴をほってしまいそうで逃げたというのもあるけれど、 何はともあれ、今日此処に来た目的を果たそうと思ったのだ。 昨日読んだ本の続き。 赤い皮の上品な表紙に金の文字でタイトルが書かれた、一昔前の童話のような。 綺麗なお姫様と素敵な王子様の、愛の物語。 は面白い本が大量にある書庫の中でも、このありきたりな本が一番のお気に入りだった。 背の高い本棚が並ぶ書庫の中を、は首を上げながらお目当ての本を探した。 暗い色の背表紙ばかりなので目に付くはずだ、と思っていればすぐに見つかった鮮やかな赤。 少々高いところにある本に、届くかなと不安に思いながら本棚に寄りかかって背伸びをして手を伸ばす。 指先が背表紙を掠った。後、少し。 気合を入れてもう一度背を伸ばして本を掴めば、同時に重力に従って下へと下がる体。 それでも本を掴めたのだからやった、と思っていればの手は勢い余って分厚い本を3冊程掴んでしまっていて。 落ちてくる、と思ったと同時にはきゅっと目を閉じた。 瞬間、ばさばさっと本が何かに当たって落ちる音が響いた。に衝撃は、まだ来ない。 変わりに訪れたのは、顔を下げた自分の体に降りかかる大きな影だった。 が上を見れば本棚に手をついてを隠すように覆いかぶさった雅治の、微笑した顔があった。 「…雅治?」 「危機一髪。…、怪我は無いかの?」 「え、無い…けど!ご、ごめんなさい!私の所為で!雅治こそ怪我は?」 「これぐらい大した事ない。…に怪我がなくてよかった。」 雅治はの頭をぽんと撫でてから、下に落ちた本を拾って本棚に戻した。 そして赤い本をに差し出して「言ってくれればすぐに取ったのに」と笑った。 その本を持つ手に薄っすらと赤い線が入っているのに気づいたは、本を取るより先にその手をとった。 「ここ、怪我してる…っ!切ったのね、本当にごめんなさい…。」 「……これぐらいすぐ治る。」 いつもより幾分か低い声で答えた雅治にえ、とが顔を上げると雅治は無表情でその傷を見つめていた。 見たことの無い雅治の表情には一瞬目を見張った。 ゆっくり視線を雅治の傷へと戻すと、信じられない事に雅治の切り傷がゆっくりと消えていた。 「…!」 が息を呑む間も無いまま、傷は数秒とかからずにすっかり元通りに治ってしまった。 信じられない。 驚きと畏怖を込めて雅治を見上げれば、無表情だった顔は少しだけ寂しそうな笑顔に変わっていた。 「…雅治?」 見ているの方が切なさに胸を締め付けられるようなほどのその笑顔に、名を呼ぶの声が震える。 見上げるの瞳も震えていた事に気づいた雅治は、ふわりと空いていたもう片方の手をの頭にやった。 「な、すぐ治ったじゃろ?」 「じゃあ今日も天気が良いしそれ持って中庭に行くか。」そう続けた雅治には静かに頷く事しか出来なかった。 頭に置かれた雅治の手が先刻前よりもずっと低く感じられた、から。


















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